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集中治療合宿2020.1

2020年01月31日

▼当院の、福井県・大野治療所3Fリビングにて昼食(焼肉)(2020.1.11)

▼当院の、福井県・大野治療所3Fリビングにて晩ご飯(ブリのお刺身)(2020.1.14)


集中治療合宿風景2020・1月号

▼日本福祉大学2年 ・ 蟹谷純平君
肩肘痛・柔軟性の改善と、パフォーマンスの向上のため来院


(整復前)2020.1.7 ⇒ (整復9日後)2020.1.16
①蟹谷純平君・整復前・2020.1.7
②蟹谷純平君・整復後・2020.1.16
③蟹谷純平君・投球変化(セットポジション)2020.1.7~1.16。
治療後の感想文
「私が今回山内整骨院で治療を受けようと思った理由は、去年の秋のリーグ戦で自分が投げて負けてしまった試合があり、先輩たちにとても迷惑をかけたと同時に悔しい気持ちがとても強かったからです。さらにこのリーグ戦だけでなく、他にも練習試合で投げていて、何試合も結果が出ず、悔しい思いをしていたので、何かを変えないとだめだと思っていました。他にも肩や肘をよくケガしてしまい、満足な投球ができていないことや、投球フォームの中で、下半身の使い方や柔軟性というところで苦労していたので、今回治療を受けて投球フォームが安定すればいいなと思い、受けることを決意しました。
 治療を受ける前と後で変わったことは、間違いなく股関節が開くようになりました。前は、開脚をした時に肘がつけばいい方だと思っていましたが、今は確実に肘がつくようになり、自分の中でも柔らかくなっているのが実感できます。投球フォームの点でいうと、テイクバックのところがからだに近いところにあり、背中より後ろに入ってしまうことがあり、肩や肘を痛めてしまう原因となっていました。さらにからだに近いところにある分、腕の遠心力が上手く使えずに腕も強く振れないし、球に勢いがないことがほとんどでした。コースに決まっていても、球に勢いがない分外野の頭を超えられたり、つまっているのに外野の前に落とされたりということが多くありました。まだピッチングをしているわけではありませんが、自分の中では手応えというものがあります。前よりもさらに指にかかるようになり、強いスピンの効いた勢いある球が投げれているのではないかと思います。
 写真や動画を見て、自分が一番変わったなというところは、投球フォームで横の時間というのが無く、腕が上がりきる前に体が回ってしまっていたので、球が抜けることが多くなっていました。しかし、横の時間をつくることができるようになり、腕が上がりきってから投げれるようになったため、上と下のタイミングがあうようになり、より強い球が投げれるようになったと思います。さらに動画を見てわかるように、リリースポイントが前になったことにより、打者により近いところで離せるようになり、球にキレが出るようになり、打ちづらくなったのではないかと思います。さらに自分のくせでもあった、テイクバックが体に近いところにあるのが、大きくなることで、体全体を大きく使えるようになり、とても投げやすいフォームになりました。自分の感覚的には、前のフォームよりも腕を強く振れているのではないかなと思います。キャッチボールをした感じでは、指にかかるボールが多く、抜ける球が少なかったのでいい方向に向かっていると思います。平地でしかキャッチボールをしていないし、この寒い時期にしては投げれているのかなと思いました。
 今後の目標は、150キロだすことと、リーグ戦で投げ、一部昇格し、神宮に出ることです。他にも140を超えるピッチャーは多くいますが、その人たちに負けずに自分も上のレベルで勝負していきたいと思います。悔しい気持ちのまま終わるのはいやなので、絶対に他の人に認めてもらえるような選手になりたいと思います。さらに、上の世界にもいけるような投手になり、今まで関わってくださった人たちに結果を出して恩返しをしたいと思います。     
2020.1.17」

▼日本福祉大学1年 ・ 田邊航基君
柔軟性の改善と、パフォーマンスの向上のため来院


(整復前)2020.1.7 ⇒ (整復9日後)2020.1.16
①田邊航基君・整復前・2020.1.7
②田邊航基君・整復後・2020.1.16
③田邊航基君・投球変化(セットポジション)2020.1.7~1.16.
治療後の感想文「ここに来て変わった事」 
「この山内整骨院に行こうと思ったきっかけは、学生コーチからの誘いと現状のパフォーマンス・柔軟性に満足していなかったからだ。
また、先輩からも、「ここへ行けば絶対変わるよ」と言われたのも来るきっかけの後押しになった。
 そして、愛知から自身初の北陸・福井へと向かい、九日間の治療が始まった。到着した初日から、撮影とトレーニングを行った。撮影した投球フォームを見て、歩幅が身長の割には、極端に狭くてテイクバックもぎこちなく、こんなフォームが本当に変わるのかと不安と疑問ばかりだった。また、トレーニングもこれで股関節が柔らかくなるのかな?と思っていたのが本音だ。
 しかし、この不安と疑問を払拭するかのように日々成果が出た。特に股関節の開きは、日に日に開く角度が広がり、目に見える変化だったため、もっと頑張ろう!と思えた要因でもある。また、投球フォームも手順をしっかりと守り、反復練習を繰り返した結果、五日目くらいから、練習してきたフォームに近づけることができた。実感できる変化量だったため、残りの日々も今まで以上に頑張ろう!とより一層、練習・トレーニングに精が出た。
 その結果、最初に撮影した時よりも、見違えるような変化を遂げることができた。股関節の開きでは、百八十度近くまで開くことができた。また、開いたことにより、トレーニングの蹴り込みも日に日に蹴りやすくなった。他にも、普段の立ち姿にも変化が出て背筋が伸び、骨盤も前傾してより良い姿勢が身に付いた。無理矢理ぐるぐるのハンドルを回された甲斐があったなと感じた。
 次に投球フォームについて。
 股関節の開きが広がったことにより、五歩半だった歩幅が六歩半~七歩へと自然に伸びた。それにより、前よりも体重移動がスムーズになり、ボールにより力を伝えられるようになった。テイクバックも、理想の形に近いフォームまでもっていくことができ、無駄のないフォーム・力強いフォームを手に入れることができた。指先にかかる感覚も全くと言っていい程変わった。この手に入れたフォームを体に染み込ませて、フォームの変化だけでなく、球質やスピードの変化も体感できるようにこれからも継続して頑張っていきたい。
 これらの治療を終えて、柔軟性やフォームが目でハッキリと分かる程の変化をしたので本当に来て良かったと思った。このフォームを体に染み込ませ、一年生の中で最初に140㎞以上を出したいと思う。また、ここへ来る前は、制球難に苦しめられたため、山内院長の助言を思い出しながら毎日頑張っていきたい。
 夢については、二つあり、体育教師になる夢とプロ野球選手になる夢である。今回、ここへ来たことにより、諦めかけていた、プロ野球選手への道をもう一度目指そうと思えた。その為には、血が滲むような努力と練習以外での自主練習を最低でも行わなければいけない。若い内にしか目指せないプロという世界へ少しでも希望があるのなら、その為に全力で向き合い頑張りたい。プロになれなかったとしても第二の夢である、体育教師になり努力して学んだことや経験を語り、良い指導者になりたい。
 ここへ来れたのは、治療費を出してくれた親の支え、大学まで野球を続けようと思わせてくれた恩師、応援してくれた友人がいたからこそなので、感謝の気持ちを忘れずこれからも頑張っていきたい。  
2020.1.17」

▼山梨・中3 ・ 中川由土君
柔軟性の改善と、パフォーマンスの向上のため来院


(整復前)2020.1.14 ⇒ (整復7日後)2020.1.20
①中川由土君・整復前・2020.1.14
②中川由土君・整復後・2020.1.21
③中川由土君・ドリブル変化 2020.1.14~1.20。

治療後の感想文「10日間を振り返って」 
「私が山内整骨院で十日間の合宿をするきっかけは、父にすすめられたからである。父と兄は以前、合宿をしたことがあった。そして、「合宿をすればパフォーマンスが上がるよ。」と言われ、来させてもらった。また、これからのサッカー人生の中で、怪我をしないことが重要になってくる。高校の三年間、その先のステップでサッカーに集中できる体をつくりたいと思い、来ることを決めた。
 合宿初日、どれだけ柔軟ができるのかや体のズレを写真を撮って確認した。私は、合宿に来る前からサンドバックを蹴り、開脚をしていたが、院長に「硬すぎる。」と言われた。また、体の様々な部分が左右でズレていることを知った。そんな状態から始まった合宿の中で、「本当に開脚が百八十度近くまで開き、ベターと前に倒れるところまで行くのか。」という気持ちでスタートした。トレーニングが思っていたよりもキツかった。サンドバックを、前に重心をのせながら押し込むように蹴り、台を使いとにかく角度を意識しながら開脚をした。そして、最後は機械を使って目標の角度まで開いた。痛かったけれど、蹴り込がいい形で出来るようになったり、体が柔らかくなったりと、成果が形として示されたことが嬉しく感じた。また、院長が「外国でプレーするんだろ。」と何度も何度も言ってくれたおかげで、あと少しの頑張りをすることができた。
 合宿も終わりに近づいてきた頃に、コーンドリブルの動画を撮った。体が軽くなり、以前よりもスムーズにドリブルすることができたと感じた。また、ターンの時もコーンに近いところで、素早く折り返すことができた。実は、合宿が始まってからすぐ同じ形のドリブルの動画を撮っていた。その二つの動画を比べてみても、整復した後の方がタイムが速くなっていた。それは、一つ一つのタッチがのびやかになったからだと考える。一歩の幅が広がったことにより、スピードにのりやすくなったと思う。そして、どれだけ柔軟ができるようになったのかや体のズレを改めて写真を撮った。すると、全ての形の柔軟が進化していた。特に開脚では、最初は九十度近くしか開かなかったのが、百六十度近く開き、前にベターと倒れるまでになった。ここまで開くとは自分でも想像がつかなかった。また、体のズレもなくなった。サッカーを始めてからの十年間のズレが十日間で直すことができたことにビックリしている。そのことにより、左足のキックが蹴りやすくなったと感じる。このように進化することができたのは、もちろん自分の頑張りもあるけれど、この合宿に携わってくれた周りの人たちのおかげだと思う。その人たちに感謝し、これからは頑張っている姿や、大会の結果などで恩返しできるようにする。
 私の夢は、プロサッカー選手になることだ。その夢を叶えるためには、たくさんの努力が必要だと考える。開脚を今よりもっと開くように毎日取り組んでいく。また、体のズレにも意識を向けバランスの良い選手になりたい。サッカーの面でも、自分がやるべき事を理解し、努力していく。  
2020.1.23」

▼山梨・中3 ・ 中川広土君
柔軟性の改善と、パフォーマンスの向上のため来院


(整復前)2020.1.14 ⇒ (整復7日後)2020.1.20
①中川広土君・整復前・2020.1.14
②中川広土君・整復後・2020.1.21
③中川広土君・ドリブル変化 2020.1.14~.1.20。

治療後の感想文「合宿で感じた事」 
「僕は最近試合でよいパフォーマンスをすることが出来ず困っていた。その原因は股関節の可動域が狭く、限られたプレーしかできなくなっていたことだと思った。なので山内先生のもとトレーニングをし、可動域が広くなりよいパフォーマンスをできることを期待して、合宿に参加した。また、兄が小学生の時に合宿に参加していて、合宿前と後ではプレーが驚くほど変わっていたのを見て、自分も合宿をきっかけに変わりたいと思い、参加することにした。
 僕は合宿のおよそ1か月前から、家にあるサンドバッグを蹴り開脚してきた。整復前に立ち姿、開脚、あぐら、伸脚を撮り、足首やひざ、ひじのズレも撮った。自分が思っていた以上にズレていて驚いた。整復後はトレーニングをして、サンドバッグが蹴りやすくなり、開脚も開きやすくなったと感じるようになった。最初は角度を意識して開くようにし、それから少しずつ低い位置で開けるようになった。初めは痛くて大変な思いをしていたけれど、毎日少しずつ開くようになったり、機械を使った時、座布団の数が減ったり、角度が大きくなったりしたらとても嬉しくなった。また、サンドバッグの蹴り方も変わった。整復後に整復前とどのくらい変わったか比べるために写真を撮った。開脚は角度が大きくなり背中が丸くなっていたのが平になり、顎がつくようになった。立ち姿やあぐら、伸脚も整復前と比べ大きく変化していた。また、ズレがなくなっていた。
 整復の前と後にドリブルの動画を撮影した。二つの動画を比べて見ると、体の動かし方やボールのさわり方が変わっていた。具体的には整復後のほうが、常にボールが体の下にあることや、コーンをまわる時にすばやくまわることが出来ていることだ。僕が整復をして感じたことは体が動かしやすくなったことだ。スムーズにドリブルができ、ムダが無くなったと思う。また、股関節の可動域が広くなったのでダブルタッチの幅が広くなったり、急な方向変更がしやすくなったりした。なので自分のプレーの幅が広がり、よいパフォーマンスを発揮できるようになったと思う。また、サッカーは下半身だけでなく、上半身の柔らかさも大切になってくる。なので肩関節も柔軟にしていくようにストレッチをしていく。僕は小学生の高学年からストレッチをあまりしなくなった。だから体が思うように動かなくなったことが、パフォーマンスが上がらないもう一つの原因だと思う。練習の少しの時間や時間のある時にストレッチをしていくことが大切だと思った。これから高校生になり体が大きくなるにつれて、痛い所がでてくると思う。毎日練習に参加し技術を磨くためには怪我をしないようにしていかなければならない。なのでストレッチを必ずしていく。
 僕は将来、一流のサッカー選手になりスペインやドイツなどのヨーロッパのリーグチームに所属し活躍したい。また、日本代表としてワールドカップに出場したい。この夢を叶えるためには怪我をしない体をつくることともに、いろんなことにチャレンジをしていき、技術を磨いていく。そして、自分を支えてくれた人々に恩返しできるようにする。
   2020.1.23」

▼磐田東高校1年 ・ 水野琉唯君
腰痛・恥骨痛・柔軟性・アーム投げの改善のため来院


(整復前)2019.12.7 ⇒ (整復1か月後)2020.1.9
①水野琉唯君・整復前・2019.12.7
②水野琉唯君・整復後・2020.1.9
③水野琉唯君・投球変化(セットポジション)2019.12.7~2020.1.9。

治療後の感想文「先輩と甲子園へ」 
「 自分がここに来るきっかけになったのは、山内先生が自分達の学校に来て話をして下さったことです。その時に自分は、行こうと思いました。理由は、自分は肩や肘をケガしたり腰のケガもしました。ほかにも投手をやっていて投げ方がアーム投げなのでそこを直せばもっといいパフォーマンスを出来ると思ったからです。
そして来てからは、サンドバックを蹴ったりするトレーニングをしたり、投球フォームで体重移動をずっとやりました。正直とてもきつかった時もありました。整復する前は私生活の面でも変わった事はなかったけれど整復の後は、股関節の開きも変わったし、睡眠の大切さも知りましたし、食事の面でも意識が変わりました。そしてそのトレーニングのおかげで股関節の写真を見ても最初と整復後でとても変わっていましたし、肘や膝とかのズレも治っていたのでとてもビックリしました。投球フォームとかも腕の出し方であったり足の伸ばし方も教えてもらって最初よりは良くなったと思いますし、投球するときの足の歩幅とかも変わっていて良かったです。他にも球持ちも良くなったりボールの勢いや、指の掛かりとかも良くなっていて今までにない感覚で投げれたので良かったです。
今後の抱負は、このトレーニングは続けないとダメなので必ず毎日やるということです。自分の夢はプロ野球選手になる事です。プロ野球選手になるためには、地道な努力も必要だと思うし、地味な練習をどれだけ続けてできるかだと思います。
今後の目標は、145キロぐらい投げれて、勝てる投手になる事です。その為にもまず、甲子園に行きたいと思います。新チームになってからはA1に投げるようになり、しっかりやらないといけないと思っていたけれど、秋の大会で先発して負けて、高校に入って一番悔しかったと同時に、自分への甘さや自覚が足りないと感じました。これからは、チームを引っ張っていかないといけない立場なので、自分に厳しくしないといけないですし、先輩と行ける最後の夏はエースとして先輩たちと行きたいです。今までお世話になった親や監督たちに恩返しもしたいです。夢のプロ野球選手になる為に甲子園に出るのは、通過点だと思っています。夢に向かって頑張りたいです。
2020・1・9」

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